【祝・映画化】村上春樹「ノルウェイの森」を分析してみた。

3ヶ月以上も放置してしまっている当blogです。故あって、ここ半年ほど小説とかマンガとかの趣味から離れておりまして(別にまったく読んだり見たりしてないってわけじゃないですが)、おそらく今回のエントリー以降も放置の日々は続くかと思われます。

村上春樹の「ノルウェイの森」の映画が本日公開です。長らく春樹ファンを自認していた私も、もちろん見に行きますが、今になって、数年前に執筆した「ノルウェイの森」の分析ノートの存在を思い出しまして、謎の衝動にかられ、こうして久々にエントリーを更新している次第です。当エントリーは、その時(多分5年ぐらい前)に書いたものからの収録・加筆です。


ノルウェイの森 文庫 全2巻 完結セット (講談社文庫)

ノルウェイの森 文庫 全2巻 完結セット (講談社文庫)

1.作者情報と作品内容の時間的一致、および冒頭のシーンから読み取れること

春樹本人
1969年(19歳) 早稲田大学入学
1987年(37歳) 「ノルウェイの森」刊行


ノルウェイの森」の「僕」
1969年(19歳) 大学入学
1987年(37歳) ドイツ・ハンブルグ空港から18年前を思い出す。


春樹のキャリアと小説の中身を照らし合わせるとこうなります。まんま一緒です。春樹自身は否定しているらしいのですが、ふつうに考えると、自分の学生時代の体験をモチーフに物語りますよ、という作者のサインだと思わざるを得ません。とくに「ノルウェイの森」が刊行された1987年当時なら、尚のことだと思います。

で、もう一つ。18年前という、かつてあった(つまり今はもうない)物語である、失った時間を「思い出す」ことで物語られる小説である、というのがこの物語の重要な構造であると思っています。思い出は美化される、というやつです。そしてこれは、「僕」という一人称形式とも相まって、読者を物語世界に引き込む、強力な装置であるといえます。

<第一章の構図>


1987年 ドイツ・ハンブルク空港
37歳 「僕」


  ↓ 18年前 思い出す


1969年 京都・阿美寮
19歳 「僕」  20歳 「直子」

2.作品全体を包む喪失感

よくよく「ノルウェイの森」は、主人公の「喪失感」を描いた物語である、といわれます。このあとも書きますが、それは当たり前の話で、この小説、死だとか別れだとかの展開がかなり多い。で、問題なのが、基本的に「何かを失う」という物語は、ウケるという認識です。それが恋人とかだとより一層で、たとえばちょっと前のセカチュー人気なんかを思い出してみてください。

当時読んだ評論で、「現代小説のレッスン」(石井忠司、講談社現代新書、2005年)というのがあります。このエントリーの元ネタのノートでも言及しているので、ちょっと引用しておきます。

  • まずメランコリーの方が特に理由もなく独立的に存在し、次にそのメランコリーの帳尻を合わせるため、いかにももっともらしい「原因」(直子の死)が事後的にデッチ上げられるのだ(中略)村上春樹の小説の功績とは、まずは世界の何事にも依拠しない純粋なメランコリー=喪失感=罪悪感というものを、十全に書き尽くしたところにこそあるのだと思う。
  • 悩みの材料がまったく存在しなくとも人間は無根拠に=「美学」的に悩む。これは人間が人間である以上、もうどうしようもない。村上春樹の小説は別に何を失ったわけでもない「喪失感」、別に何を目指したわけでもない「挫折感」など、具体的な原因を欠く純粋なメランコリーを見事に形象化したがため、それは人間の「美学」的な本質を突くものであった(後略)


現代小説のレッスン (講談社現代新書)

現代小説のレッスン (講談社現代新書)


正直なところ、今読むと大したことが書いてあるようには思えないのですが、当時はハッとさせられましたね。そういえば村上春樹って、な〜んか独特の気だるさ・暗さがあるよな、と。そしてそれが妙に心地よいという・・。「1Q84」のハッピーエンド(?)に意外性を感じたのを思い出しますが、それだけ初期の春樹作品は、「喪失感」と切っても切れない関係にあったのでしょう。

映画化にあたり、この独特の感じがどう表現されているのか、一番気になるところです。PVを見た感じでは、口当たりのよいスイーツ映画になってしまっている危惧を、感じないでもありません。60〜70年代の「臭さ」(風俗などの時代考証)などはきちんと再現されているのだろうか云々。

3.「ノルウェイの森」を構造分析してみる

1と2というフィルターをはぎとって、物語内容のみを抽出すると、だいたい次のようになるかと思います。

  • 死んだ友人(キズキ)の元カノ(直子)と東京で再会して、エッチまでしちゃうけど、彼女は精神的に不安定で、「僕」と離れ京都の療養所に行って、最後に自殺する。
  • 一方、大学で知り合った女の子(緑)も、両親に愛されなかったというトラウマを抱えていて、「僕」と恋愛関係になる。
  • 直子が自殺した後、直子の寮でのルームメイト(レイコさん)と何故かエッチして、緑とつき合う(<生>の世界に戻る)ことを決意する「僕」。


その間にも、「僕」のルームメイト(突撃隊)は「僕」のもとを突然去り、直子の姉が自殺していたことが語られ、緑の父親は母親と同じく脳腫瘍で死んだり、「僕」の寮での先輩(永沢さん)も退寮し(何年かのち、ドイツ・ボンへ)、その先輩の恋人(ハツミさん)が2年後に自殺したことが語られ・・と、とにかく人が死んだり自殺したり、「僕」から離れていったりする話が連発される。また、直子・緑にかかわらず、どこかしらに病を抱えた人物が非常に多い。

とりあえず、ここから見えてくるキーワードは、

・死 ・病い ・恋愛(セックス) ・別れ

これが「100パーセントの恋愛小説」として読まれている小説の骨子です。当然ながら、映画の方もそういう期待感を持ちながら見る人が多いと思われます。あのPV見ると尚更です。

4.各章のまとめ

各章における、場所、時間、人物、主な出来事をまとめてましたので、これも上げときます。何かオリジナルでサブタイつけてますが、生暖かい目で見ていただけると幸いです。当時はこれでも結構考えて書きました。

第一章 「18年という歳月」


ドイツ・ハンブルグ空港
1987年11月 「僕」(37歳)
⇒18年前を思い出す


京都・阿美寮
1969年秋 「僕」(19歳) 直子(20歳)
⇒阿美寮訪問(1回目)時の記憶

第二章 「『生』のまっただ中における『死』」


東京・四谷駅〜駒込駅
1968年春 「僕」(18歳) 直子
⇒直子との再会、あてのない歩行
⇒東京の寮、突撃隊


「僕」と直子の地元
1966年春 「僕」(16歳、高2) 「キズキ」
⇒キズキの自殺。「生は死の対極としてではなく、その一部として存在している。」

第三章 「直子との離別」


東京・武蔵野 直子のアパート
1968年〜1969年4月 「僕」 直子
⇒直子とのセックス(直子の誕生日)と別れ


東京・寮〜新宿
1968年〜1969年4月 「僕」 永沢
⇒行きずりの女とのセックス
⇒新宿のレコード店でアルバイト


*第二章〜第三章の約1年間、「僕」と直子が東京でつき合っていた一番幸せなはずの時期だが、物語の分量としては、それほど充てられていないことに注目。

第四章 「緑との出会い」


東京・大学近くのレストラン〜大塚・小林書店
1969年9月 「僕」(19歳) 緑(19歳)
⇒関西風の見事な手料理、ギターで火事見物、キス
⇒突撃隊、退寮

第五章 「直子からの手紙」


東京・寮
1969年9月〜10月 「僕」

第六章 「阿美寮」


京都・阿美寮
1969年10月の3日間 「僕」 直子 レイコ
⇒直子の肉体的成熟
⇒レイコの長い話
⇒直子の姉のエピソード
⇒牧場へピクニック、直子の(自主規制)


 ↓


東京・新宿
「僕」

第七章 「緑2」


東京・御茶の水の病院
1969年10月〜11月 「僕」 緑 緑の父親
⇒父にキウリを食べさせる「僕」
⇒父のメッセージ「ミドリ・キップ・ウエノ・タノム」

第八章 「『キズキ』『直子』『僕』――3人というリフレイン」


東京・麻布のレストラン
1969年11月 「僕」 永沢 ハツミ
⇒永沢の内定祝いの会食
⇒ハツミの激高


  ↓


東京・渋谷のハツミのアパート
「僕」 ハツミ
⇒ビリヤード、キズキの連想


⇒永沢がドイツへ発って2年後、永沢とハツミの結婚、ハツミの自殺


  ↑

ニューメキシコ・ピッツァハウス
12年か13年後 「僕」
⇒「奇跡のような夕陽」の中で思いかえす

第九章 「緑3」


東京・新宿
1969年11月 「僕」 緑
⇒バー「DUG」、SM映画、ディスコ
⇒小林書店へ

第十章 「変化する<生>の世界」


・「僕」、20歳に。緑、小林書店から姉と共に茗荷谷のアパートへ


京都・阿美寮(2回目)
1969年12月 「僕」 直子 レイコ
⇒直子による(自主規制)および(自主規制2) 「これも覚えていられる?」


東京・寮
1970年
⇒永沢、三田のアパートへ
⇒僕、吉祥寺の借家へ


⇒レイコの手紙、直子の病状悪化
美大生の伊東、イタリアン・レストランでのアルバイト


⇒2か月間にわたる緑の拒絶


  ↓


東京・日本橋のデパート
1970年6月 「僕」 緑
⇒地下で食事
⇒屋上にて緑の告白
茗荷谷のアパートへ、緑の(自主規制)


・直子と緑の間で揺れる「僕」の心は、章末のレイコからの手紙に収れんされていく。

第十一章 「どこでもない場所のまん中から」


・1970年8月、直子の自殺。まるひと月にわたる「僕」の西方への旅


東京・吉祥寺、「僕」の借家
1970年10月 「僕」 レイコ
⇒レイコによる直子が死ぬまでの話
⇒直子の「悲しくない」葬式
⇒「僕」とレイコのセックス


  ↓


上野駅
「僕」 レイコ
旭川へ向かうレイコ

⇒緑に電話をかける「僕」


――「僕はどこでもない場所のまん中から緑を呼び続けていた」 (終)

5.その他雑感(ノート執筆当時)

  • mixi内のどこかのコミュニティの書き込みで読んだ文章に目からウロコ。冒頭の語り起こしに出てくるのは直子であって、そこに緑はいない。「ノルウェイの森」を直子と緑の対比(<死>と<生>の対比)で読むのは常とう手段だが、それ以前に「ノルウェイの森」とは、<直子を失う物語>であったのだ。
  • ちなみに、「僕」はその両方の世界の「まん中」にいるどっちつかずの存在で、レイコさんは<生>の世界から<死>の世界に入るけど、最後また<生>の世界に戻ってくるという、二項対立的な構造が「ノルウェイの森」にはある。
  • ふと思ったが、ageの「君が望む永遠」に構造がクリソツだ。ちょっと内気な女の子と、パッと見明るい感じの2人女の子の間でウジウジする男という構図。そして、内気な方の女の子には、何かしらの「欠落」なり「欠損」が起こるという。

今回の感想的なもの

白状しますが、私、「ノルウェイの森」をおそらく通算10回は再読しています。えぇ。ここ2〜3年はそうでもありませんでしたが、毎年1〜2回は再読(しかもこのようにメモを取りながら必死に精読)するという、何とも香ばしい時期が何年も続いておりました。よくよく考えたら、ここまで何度も読み返した小説なんて他にはありません。まぁ非常に恥ずかしい話ですが。

そんな「ノルウェイの森」が本日映画公開と。まぁ非常にwktkですね。

村上春樹というと、世代や性別はおろか、言語や文化圏を越えて、実に様々な受容のされ方をしている、現役の日本人作家では筆頭の存在かと思います。国内では「1Q84」の大ベストセラーが記憶に新しいですし、フランツ・カフカ賞の受賞や、ノーベル文学賞が受賞が期待されたりと、海外での知名度も相当に高い。海外の大学では現代日本文学のメジャーな作家として、研究対象になっているそうですね。

だがしかし。今回、昔の細かい分析をまとめてみて改めて思いましたが、特にこの「ノルウェイの森」では顕著ですが、そんなに手放しで文学的な価値を認めてもよい作家なんでしょうか。誤解なきよういっておきますが、村上春樹が80年代以降、現在においても、最も重要な作家の一人であることは疑いようもないことです。ただそういうことじゃなくて、「1Q84」がバカ売れしたりしたみたいに、万人に無条件でオススメできる作家じゃあまりないな、ということです。

この間、仕事の取引先の人としゃべってて、村上春樹のどこがそんなに面白いの? みたいな話になってしまい、私、返答に困ってしまいましたよ。何せ、(自主規制)(自主規制2)ですから。まぁそういった現象面のアレな感じ以上に、村上春樹をめぐる、思考のあり方とか、世界観のあり方とかは、やはり一筋縄ではいかないな、という気はずっとしています。

「好きな作家は?」と聞かれて、本当は村上春樹なのに、そう正直に答えるのに、どこか気恥ずかしさを感じる人は大勢いるんじゃないでしょうか。プロフィール欄などでもよく見かけるように、好きな作家を問うことは割と一般的な質問とみなされているようですが、本当は非常に危険な行為だと思いますね。初対面なんかだと特に。その人の精神的な傾向なり嗜好なりをモロに反映してしまうわけですから。

極端な話、仕事とかのオフィシャルな場で、「団鬼六」ですって答える奴がいたらどうでしょうか? まぁ非常識人のレッテルを貼られるか、真正のMかと思われるかのどちらかでしょう。だから、いきなり「好きな作家は?」なんて聞いてくる奴がいたら、そいつは要注意なんですね。「あなたの性癖は?」なんて聞いてくるのと同等の質問をしてるようなもんですから。「好きな作家は?」と聞かれて、何の躊躇いなく「村上春樹です」って答えるやつがいたら見てみたいです。ただ、あんまりマニアックな作家を答えて、相手が「フーン」となってそこで話が終わるのも嫌なんで、最近では恥を忍んで「村上春樹」と答えるようにしていますが。


えー「ノルウェイの森」の構造分析とは、ほとんど関係ない話になってしまいましたが、とりあえず時間もないのでここらで終わりといたします。