中原清一郎『カノン』評

【作者情報】 中原清一郎(なかはら・せいいちろう)
1953年生。元朝日新聞の編集局長。在職中よりノンフィクションを手がける。同社を早期退職後、中原清一郎名義で小説を執筆。『カノン』はその第一作。


【作品情報】 カノン

カノン (河出文庫)

カノン (河出文庫)

ジャンル:小説
初出:「文藝2014年春号」(2014年、河出書房新社)、単行本(2014年、河出)、文庫(2016年、河出文庫
個人的評価:★★☆☆☆(星2つ)


【コメント】
記憶を司ると言われる脳の器官「海馬」。その海馬を生体間で移植し、「肉体」と「人格」を交換することが出来たならば――。言葉にするだけで凄まじいテーマと、何よりオビのお二方(佐藤優氏&中条省平氏)の推薦文に惹かれて、帰省新幹線の往路を使って一気読み。一気読みしたぐらいだから面白かったのかと問われれば確かにそうだったんだが、肩透かしを喰らったことも認めねばならぬ。

58才の男の脳が32才の女の身体に移植されたら・・という究極の「if」がこの小説の原動力であり、それを成立させるために用意された無数のパーツが面白い。小説前半部では、初老を迎える男が、若い女の身体に「入り」、新たな人格を獲得していく過程が描かれる。術後間もなくはシナプスがつながりきっていないから脳に負担なのでゆっくりお休みくださいとか、似非科学もいいところなんだが、それに何故だかリアリティを感じてしまうのは、脳関係以外の部分が非常にしっかりしているということもあるだろう。海馬移植という「if」、つまり現実には起こりえない「たった一つの嘘」を成立させるために、医学的な説明に比重を置くのではなく、それが現実のものとしてある社会とそこに生きる人間を、一定のリアリティを持って描くという点は、この小説が面白く読める大きな理由の一つだと思う。

32才の女の身体へ「入る」主人公は、事前の取り決めにより、女として、母親として生を全うしなければならい。今後、どのような生を送るにしろ、言葉遣いや仕草、化粧のやり方やファッションまで、女性になりきらないといけないという。そうした主人公に対するケアを受け持つ、大学病院のチームスタッフが何人もいて、彼を女性にしていく。ジェンダー論者や女形の歌舞伎役者による指導、3Dによる動作分析等々、「たった一つの嘘」を成立させるための、数多くの嘘科学(ないしは実在の科学)に、妙な説得力があり面白く読ませる。

海馬を移植して意識や記憶だけ別の身体に入る――これを小説的にどう表現するのか。術後当初は、かつて男だった己の自意識は依然としてそこにあり、女として母親として、肉体の持ち主であった「歌音」を演じているという意識がある。時折、「歌音」であった頃の意識が表面化し、自身でも意図しない言葉を放ったりもする。物語が進んでいくにつれ、かつて男であった自分でもなく、身体の持ち主であった女のものでもない、女性性を身に付けた「自意識」=第三の人格が徐々に統合していく過程に読者は立ち会うことになる。詳細はぜひ実作にあたっていただきたいが、小説の会話表現や地の文の人称など、表現の面でも細かな工夫が散りばめられおり実に見事である。

小説後半部、主人公の自我が落ち着いてからは、母親としての主人公、雑誌編集者としての主人公が話のメインとなり、他者や社会とのかかわりへ物語はシフトしていく。特に息子を中心とした家族との対話・出来事にフォーカスしていくが、このあたりから硬派な医療系SFといったテンションから、子育て奮闘記とでも言うか、急に人情ものっぽい雰囲気になってくる。主人公の「異変」に気づいた職場の同僚によるイジメなど、正直、これ海馬移植関係なくね?という気分になりつつ読み進めていったことはここに記しておこう。元の人格としての「歌音」が登場し、意識を乗っ取り言葉を放つことで、主人公のピンチ(息子の迷子など)を救うというSFチックなギミックをキモに、息子にまつわる連作ドラマじみた展開(迷子編、カンフー教室編等々)を見せたあたりから、この小説に対する当初のイメージは霧散したと言っていい。(佐藤優氏がオビで言及した「神」という言葉から、「パラサイト・イヴ」のような生物創出のイメージを持っており、カノン=「神音」という漢字も勝手に思ってたんだがそうではなかった。)

やがて朽ちていくかつての自分の肉体との対面を経た後のラストシーン、「わたしは、カノン。氷坂カノンよ。」は、それまでの社会的な本名「歌音」ではなく、小説のタイトルでもあるカタカナ表記である「カノン」とすることで、新たな人格を獲得しきったという、物語的にもクライマックスのはずなんだが、時既に遅しとでも言うか、個人的にはすごく残念な感じを抱かずには得なかった。広げた風呂敷(=設定)の壮大さに対して、与えられた物語展開が、家族愛では余りに釣り合わないんじゃないのかという気がする(家族愛の物語が悪いと言っているのではもちろんない)。元は別の人間であった肉体と脳が合体するという、医学的・社会的に見て極めてレアな医療行為(もちろんこれがこの小説の最大の売りであり、一定の小説的リアリティの獲得には成功しており、ひいては読者に対する面白さの提供にもつながっている)を経て生まれた人間に起きるだろう物語を想うと、5才の息子の子育てや夫との関係、職場の人間関係等々、ある種誰にでも起こりうるプライベートな物語が点々と紡がれただけに見えた後半部には、スケールダウンを感じずにはいられなかった。

読書メーターで感想を追ってみると、こっちの家族愛の方に比重を置いて読まれた方もいて、それはそれで人それぞれなんだろうけど、僕個人としては前半部の引き込まれ方が凄かった分、ちょっと肩透かしだったかなぁというのが正直なところである。惜しいという意味で、★★☆☆☆(星2つ)。