「ヱヴァンゲリヲン新劇場版:破」ロングレポート


【作品情報】 ヱヴァンゲリヲン新劇場版:破

ジャンル:アニメ
初出:2009年6月27日、カラー
梗概:まとめとか無理やろ。
個人的評価:★★★★★(星5つ)


【コメント】
やっと借りられたよ破。というわけで、1年前に映画館で見て以来になるが、ガッスリ見てみたのでコメンツします。映画視聴直後のエントリーはこちら。⇒新ヱヴァ「破」:視聴直後 - 雑想ノオト - 良いモノに触れたときの感動は代替不可能だから

ジオフロントのスイカ畑で、加持のシンジに対する説教シーンを見てて気付いたんだが、悲壮感というのかな、そういうのは新劇になって随分薄れたんじゃないかと。大多数の人がごく普通に共感できる、「まとも」なアニメになっている。エヴァって元々、良くも悪くも、どこかメンヘル臭漂う話だったじゃないすか。主人公のシンジ自体、やたら内向的(ナイバツ的なんて言葉も出てたな)で、「他人の中の自分」「心の壁」なんてのが、作中ことさら強調されてた。アダルトチルドレンとかの本が流行った記憶をお持ちの方も多いかと思います。んで、登場人物も、視聴者も、作り手も、自分が心にどうしようもない傷を抱えてるってのを、エヴァを通して擬似共有してたような感覚ってなかっただろうか。新劇になってからは、そういう「イタさ」の押し出しってのは、ほとんどナリを潜めたような気がする。時代の流れかもしれないし、そういうのは旧エヴァで乗り越えたとでも言うか。もう一度エヴァをリビルドしようって根性自体が、もうそのあらわれかもしれないし。そんな旧エヴァにはあった病的な魅力は薄れた一方で、アニメとしての王道的な面白さが全面に出るようになった気はします。

あとは何と言っても、「最強の拒絶タイプ」こと第10使徒からの怒涛のラストだよね。破はこれにつきる。これは現状、他のアニメでは絶対に真似できないレベルにいってるんじゃないかと思う。15年間という歴史の重みもそうだし、圧倒的な作画技術・CG・特殊効果等々がこれでもかってほど注ぎ込まれてるし。旧エヴァはやりたいことと映像のレベルが不釣合いだったきらいはあったけど(それでも当時=1995年のTV版は、斬新なアニメーションとして評価されていた)、新劇の、特に特殊効果とかCGとかの要素が、旧エヴァが本来持っていた良さを上手く引き出しているよう思う。やっている内容は、主人公の少年の成長物語という王道中の王道だけれど、脇を固めるストーリーは、今回の破でリツコさんが連呼してた「人としての形を保てなく〜」云々に代表されるような、この世のものならざる存在(神とかそういうの)方面の、かなり抽象度の高いものだ。兵器としてのEVAが、生物的な面を見せ、ついには神の領域にまでいこうとする・・とかそういう内容。この手のストーリーに圧倒されながら、これも旧作からの売りだったけれど、密度の高いヒューマンドラマを見せられていると、もうこれ以上の作品ってあんのかよ? と言いたくなってくるものです。

つか同業者の人たちって、ぶっちゃけこの作品のことどう思ってるだろうね。ここまでやられたら、もうお手上げって感じはしないんだろうか。来る日も来る日も量産され続けているアニメだけれど、それらのほとんどは、この作品がやろうとしてるレベルとはまったく別の次元で作られてる訳じゃないですか。確かにハルヒエヴァにはない今っぽい面白さを備えてるし、けいおんも萌えとかキャラクター性ってののツボを確実にミートしているアニメだと思う(まぁエヴァみたく10年、15年後見れるかどうかと言ったら、「?」だが)。でも、仮にそうしたヒットしているアニメにとって、この作品クラスの強度を備えたものって、今、果たして他にあるんだろうかと。映像のクオリティとかストーリーの壮大さもそうだし、興行収入的な面もそうだし。たとえば、「僕らはエヴァとは関係ない、独自の面白さを追求するんです」ってニュアンスのことは、おそらくゴマンと言われてるんだろうけど、でもそれは作り手なんだから当たり前の話で、ここまでレベルの違いを見せつけられたら、その台詞も単なる負け惜しみにしか聞こえないんじゃないかと。それぐらい今回の破は衝撃的だったし、破のラストを見ながら、これ見ちゃったらしばらくは他のアニメ見れんよなーと思った。つか誰でもいいから、「新ヱヴァ超えるぞ!」って言い出す人が出てきて欲しいもんだけど。

それと、EOEとかビデオフォーマット版の第弐拾参話あたりから出てきはじめた、「エヴァ」と「使徒」と「ヒト」の境界をまたぐような表現(綾波レイがデカくなったり、初号機が参号機を喰って腹出っ張ったりとかそういうの)は、相変わらず破でも上手い。第10使徒が零号機とレイを捕食して以降の表現、アレなんか一歩間違えたら「お笑い」じゃないすか。真っ裸の巨大な女が、頭からビラビラする変なもんかぶって、ロボットから目ビーム喰らって吹っ飛んでるとかどんだけ〜(死語)みたいな。でもなぜだか、そんな言葉にするとハチャメチャなモノが、どこか胸がざわつくような、居心地の悪さを伴うような存在感を放っているから不思議だ。綾波レイというキャラクターのリアルな身体性と、第10使徒の非現実的で悪魔的な気味の悪さが対比になって、何とも言えない感じを与えてくる。初号機が参号機を虐殺・捕食しているシーンもそう。アングルとか、画面構成とか、動きの細かい所にまでこだわって、単にデカいロボットがやってるってだけじゃなくて、また人をデカくしたってだけでもなくて、人っぽさを残した「何か」、もう「エヴァ」としか言いようのないものの描写に成功しているんじゃないか、とそう思うわけです。質感とでもいうのかな、エヴァにしろ使徒にしろの、その本物っぽさは、確実に新劇でパワーアップした魅力のひとつに思った。

さっきヒューマンドラマと言ったけど、キャラクターの掘り下げも、これまた新劇の面白さの一つだ。「シンジくん」から「シンジさん」に格上げになったシンジを筆頭に、各キャラそれぞれ旧エヴァとはまた違った人物造形になっているから、旧からのファンにとってはその面白さもひとしおだ。ミサトとシンジの距離感なんかも、旧とかEOEで色々あったの(怒鳴りつけたり、家出したり、キスしたり等々)を全部すっとばして、いきなりミサトがシンジの保護者にして良き理解者になってたりするのも、よくよく考えたらワロスだし。「僕はもう、エヴァには乗りません」「僕はもう、誰とも笑えません」 ⇒ 「初号機パイロットの碇シンジです!」「綾波を返せ!!」「行きなさい、シンジ君!」「来い!!」 このあたりの飛躍もワロス。まぁ映画という限られた尺の中だから、キャラクター間の細かな心情の変化なんかは、あんまり描けないだろうけど。アスカも、加持さんが好きっていう設定は(おそらく)なくなってて、いきなりレイとのシンジさん争奪戦に。かつてエヴァ厨は同人誌やらssやらで補完を繰り返したものだが・・(遠い目)。閑話休題、で、アスカといえば旧作ではメンヘル担当の最右翼だったわけが、破では旧作ほどそっちの要素は強くなかった気がした。ただ今回、使徒と融合(?)してるような表現もあり、ヤラレ役ナンバーワンの座を射止めているんじゃないかと。「ぽかぽか」云々の旧ファンからしてみれば破格の萌え台詞を連呼した綾波レイは、ゲンドウとシンジの中を取り持つため食事会を企画したりと、新劇になってもっとも変化したキャラの一人となっている。まぁこれにしても旧エヴァからの蓄積があってこそ生きてるとしか思えんが。不思議ちゃんのマリは、ほとんど他の登場人物との絡みがなかったからこれは次回期待。旧エヴァには絶対登場させられないようなキャラだな、マリは。破の最後、「Q」の予告がこれまた思わせぶりで、まーた新キャラが出る可能性を示唆しているみたいだし(白塗りで名前を消されたような字幕アリ)。

まぁいずれにしろ、新劇を見るにあたって、旧エヴァでの各キャラの性格だとか、人間関係だとかをベースにしないと、さすがに面白さは激減だろうね。ゲンドウ−冬月とか、ゲンドウ−レイとか、ミサト−リツコとか、ミサト−加持とか。新劇ではほとんど前置きなく、これらのキャラクターが絡んでいる(ゲンドウとレイがメシ喰ってる時に、ゲンドウがレイにユイの姿を重ねるシーン、旧知ってる人間とっては当たり前の表現も、新劇から見始めた人にとっては「誰?www」状態かと。ミサト−加持の神がかった話は、前に言及したことがあるので読まれるが良い。⇒小黒祐一郎さんのエヴァコラムと第15話「嘘と沈黙」 - 雑想ノオト - 良いモノに触れたときの感動は代替不可能だから)。新劇ではやはりシンジにスポットを当てたものにならざるを得ないから、これらサブキャラ同士のラインに充てられた時間はかなり短い。新劇にとって細かいヒューマンドラマとかはやはり苦手で、そういうのは旧をベースに補完的な見方をするのが正しいかも。新作映画としての見所は、シンジの成長(+ミサトとの母子関係とも男女関係とも言えない関係性。序のヤシマ作戦に続き、今回もホント良かった)、衝撃的なストーリー展開、圧倒的な作画力、と、このあたりになりそうだ。まぁ何だかんだ言って、旧とのGAPが一番気になることに違いはないんだけど。

「けいおん!! #10先生!」を見た。

さわちゃんありがとう!!


【作品情報】 けいおん!!
ジャンル:アニメ
初出:2010年4月〜、京都アニメーション
梗概:「けいおん!」の第2期で「けいおん!!」。これまで9話ほど進んだけれど、キャッキャウフフ属性ばかりで、ちょっと辟易していたのだが・・。
個人的評価:?????


【コメント】
見てます。けいおん
第1期はまとめて見たんだけど、その時に感じた音楽へのマジメな面(ちょっとウルっとくるぐらいの)は完全にナリを潜め、アタマのネジが何本か飛んだようなゆるーい話がずっと続いていた第2期であったのだが。


「けいおん!」視聴−−「あずにゃん問題」を考える - 雑想ノオト - 良いモノに触れたときの感動は代替不可能だから


今まで軽音部のメンバーを除く一般の生徒に対してはネコを被っていた「さわちゃん」こと山中さわ子先生が、ついに吹 っ 切 れ た。唯をボーカルに立たせて当時の「DEATH DEVIL」を再現しようとしたんだけど、そのヌルさにさわちゃん我慢できなかった。

曲のクオリティは、オリコンでワンツーをやってしまう「けいおん」のこと。当然ながら(無駄に)高い。んで泣かせるのが、さわちゃんの学生時代の回想のカブせだよね。デスメタでちょっとアレだけど、真摯に音楽をやってたていうのを凄くよく感じる回想だったと思った。えがった。2クールが予定されている第2期「けいおん!!」をますます要チェックだ。

今日のぼやき

本日、取引先の社員とバイト(一部)に、僕のヲタ属性がバレてしまいました。けいおん好きってことで認知されました。自分の会社内にもバレてないっていうのに・・orz

稲泉 連『仕事漂流 ― 就職氷河期世代の「働き方」』を読む

アラサー諸兄諸姉、必読のノンフィクション。


【作者情報】 稲泉 連(いないずみ・れん)
31歳。高校中退⇒大検⇒早稲田二文⇒ノンフィクション作家へ。就学・就職など若者に関わる社会問題をテーマにする。26歳で大宅壮一ノンフィクション賞を最年少で受賞。


【作品情報】 仕事漂流 ― 就職氷河期世代の「働き方」

仕事漂流 ― 就職氷河期世代の「働き方」

仕事漂流 ― 就職氷河期世代の「働き方」

ジャンル:ノンフィクション
初出:2010年、プレジデント社
梗概:著者と同じ年齢(30ぐらい)の、「転職」を体験した人物にスポットをあてたもの。書き下ろし。
個人的評価:★★★★☆(星4つ)


【コメント】
(まだ第2章までしか読んでないです)
ノンフィクションの文体には、極めて客観的な事実を積み重ねて書いていくやり方と、対象となる人物の心情や背後関係を「想像」して、まるで小説のように主観的に書いていくやり方の二系統がある。いずれにしろ取材を重ねた上で明らかになった事実を元に書かれた文章がノンフィクションと呼ばれる訳だが、表現方法という面では、多くのノンフィクションはこの二つの間を行ったりきたりしながら普通書かれる・・のだが・・。
この作品は・・凄いッス・・。第1章読み終わった直後、「ハハハ」と笑えた。読書で笑えたの久しぶりだよwww 当作品、間違いなく著者が入り込んじゃってます。読んでいると、当作品に登場する色々大変な人たちに対する、〈著者の視点〉が否応なく現前化してくるのだ。同じく若者である著者の同世代的な視点は、極めて共感的であり、感情移入的である・・としか思えない。各章でメインの対象となる人物の生い立ちや学生時代の振り返り、最初の就職活動から就業後の様子と転職までの経緯・・等々を時系列で追いながら浮き彫りにしていく構成なのだが、どの場面でも最終的な評価軸、というか価値判断は、その人物の性格であったり心情であったり志向であったりと、メンタルな部分に追うところが非常に多い。畢竟、主観たっぷりの妙にリアルなノンフィクションが出来上がっているのだ。「同じく若者である著者の同世代的な視点」といったが、もうそう読まずにはいられない、ある種の共犯めいた「イタさ」が始終漂っているのだコレが。
かくいう私も彼らとまったく同じ世代で、「ロスト・ジェネレーション」だし、就職氷河期真っ只中の就職活動だったし、あまつさえ出版業界だし・・と完全に人事ではなく、読み手である私自身もわが身の如く感情移入しまくっているのだが。確かにそうなんだけど、そうした内容のピンポイントでのツボっぷりもさることながら、著者の対象へのコミットの仕方が、ハッキリ言って面白すぎるのだ。これはもう「苦海浄土」における石牟礼道子状態(石牟礼道子・巫女説。「苦海浄土」は水俣病患者に乗り移ったかのような記録文学といわれる)に近いものがあるよ。
とりあえずアラサー諸兄諸姉は、何年後とかに読んでも無意味なので、なるべく早めに読むべし。

佐藤亜紀「1809―ナポレオン暗殺」短評

味付け濃い目の豪華フルコース。


【作者情報】 佐藤亜紀(さとう・あき)
1991年に「バルタザールの遍歴」で日本ファンタジーノベル大賞を受賞してデビュー。売れ筋ランキングとかにはまず入らない、知る人ぞ知る的なタイプの作家。学生の時、偶然この作家の講義を聞く機会があって、以降ポチポチと読み始めてたら、いつの間にかガチでハマッてた・・という流れ。


【作品情報】 1809―ナポレオン暗殺

1809―ナポレオン暗殺 (文春文庫)

1809―ナポレオン暗殺 (文春文庫)

ジャンル:小説
初出:1997年、文藝春秋
梗概:いつもの佐藤亜紀
個人的評価:★★★★★(星5つ)


【コメント】
佐藤亜紀の未読作品読みまくり作戦実行中。今作も安定した佐藤亜紀っぷりを堪能させていただきました。
舞台は中世ヨーロッパ。イケメン工兵の大尉(一人称の主人公)と、ダメ公爵とその愛人がメインキャラ。主人公の上司の大佐とか、オーストリアの秘密警察とか、公爵の弟とか、他にもかなり色々出てくる。ストーリーは、まぁ余り書きすぎるとアレなんで適当に端折るが、要はかのナポレオン・ボナパルトの暗殺計画に主人公が巻き込まれる・・というもの。
佐藤亜紀なんて、よほどの小説読みか西洋マニアぐらいしか手に取らん(=世間の人々は殆ど読まない)と思うのだがどうだろう。文体は、重厚といえば聞こえは良いけど、ラノベケータイ小説に慣れた人ならまず放り出すような濃度100%な感じだし、村上春樹のような万人受けする読みやすさもないし。話の中身も、どの作品選んでもとにかく中世ヨーロッパ一択で、登場人物の名前もカタカナまみれで中々覚えられない始末。そう、「とっつきにくい」んだ佐藤亜紀は。
だがな。良薬口に苦しじゃないけど、無菌消毒されてラッピングされた口当たりの良いものばかりじゃアカンということですよ。凝りまくった世界観、登場人物たちの一筋縄ではいかない人間関係、政治家や軍部の陰謀策略、バトルあり、ロマンスあり等々と、とにかく豊富な情報量が、これまた濃ゆーい文体で描かれる訳ですよ。たしかに最初はとっつきにくいかもしれん。が、ちょっと我慢して読んでみて。これが溜まらなくなってくるから。

私信+今後の方向性など

私信です。

ケータイを新幹線に忘れてしまいました・・orz つか見つかってマジ良かった・・。

火曜のAM中には手元に届くので、何かありましたらPCメールの方へお願いします。



はい、で、このblogですが、ご覧の通り滞りまくってます。書く気がない訳ではないのですが、どうも億劫になってしまい、アップロードの間隔が月イチとか、極端に空いてしまってるんですね。忙しさにかまけて、がっつりとした文章を書く時間が取れないというか、取ろうとしないというか・・。

で、考えたのが、何かフォーマットを作って、簡単な読書メモ、ないしは「短評」形式のアップロードができないかなぁと。読了後30分以内とかで、ちゃちゃっと書けるのが理想。がっつりとしたものが書きたくなったら、また別個に書けばいいので、とりあえず小説やマンガを読んだり、アニメや映画を見たりした直後に、サクッとモノを書くような習慣が持てればなぁと。

フォーマットの内容は何となーく頭にあるので、近日中には何とかします。多分。

「まほろまてぃっく」超速レビュー

【注】本エントリーは、マンガ「まほろまてぃっく」のレビューだか感想だかよく分らないだろう文章群です。芋焼酎を4合お湯割で入れてのアップロードです。


1.「まほろ〜」を読んだことのある人。
2.読んだことはないけど、軽くは知っている人。
3.実は全然知らないんだけど、これから読もうと思っている人。
4.俺に個人的な興味を持っている人。


以上1〜4に該当しない人は読まないで下さいお願いします。つか、完全に未読の方は置いてけぼりな、単なるテンションに任せた殴り書きなので、マジでご注意下さい。


http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%BE%E3%81%BB%E3%82%8D%E3%81%BE%E3%81%A6%E3%81%83%E3%81%A3%E3%81%8F/

まほろ〜」再々々読ぐらいの読了直後高速で叩いたキーボードの文章を、恥ずかしくない程度に、それでも勢いは残したまま推敲してみるテスト

まほろまてぃっく (1) (Gum comics)

まほろまてぃっく (1) (Gum comics)

まほろまてぃっく」は対比で読めるような気がする。

アンドロイドと人間。機械と心。セイントと人間。管理者とヴェスパー。

最終的には愛とか命とかそういう話なんだが、対比を出すと凄く分りやすいシナリオになる。愛情溢れるメイドさんが、実は戦闘用アンドロイドだったり、精神性に富んだセイントと好戦的で野蛮な地球人、とかそういうこと。

で、ことあるごとにそれらを止揚(対比関係の事項を融合させて押し上げる。単なる折衷案じゃない)する訳だ。完璧な存在に思えたセイントは、実は滅びの道を歩んでいて、彼らが忘れかけていた本能・衝動のようなものを持つ人類と接触を試みようとしたり。ボロボロになりながら管理者の追っ手と戦うまほろと優がそんな戦闘の中で、「ただいま」「おかえり」と、敢えてかつての日常のような挨拶を交わす、とかね。

原作者・中山氏の神シナリオと、変態お○っこ漫画家・ぢだま某の変態的なノリが奇跡的に調和した良作品。何気なく読み始めた再々々・・読ぐらいだったのに、未だに泣けてきたよ。本当にベタに弱いワタシ。

あぁ、時の流れっていうベタ展開ってのも利いたわな。かつてのあのバカノリが否が応でも懐かしまれるからねぇ。
最終巻とかもくどくど説明しない。コマとか画だけで見せるやり口が光る。ただ、バトルシーンとか艦隊戦とかの画力の低さは・・。まぁいいんだけどね。それはまほろの本懐じゃないし。もし出来ればの話なんだが、超絶SFバリバリの作画と展開で、まほろと優のあったかい愛なりを描ければ、もっと神作品になりそうなもんだが、ぢたま氏の作画力とかアニメのあのヌルイ感じじゃまぁ無理だわな。まぁ多くは求めまい。

勢いに任せ「まほろ」を語る。

まほろさんがいつか死んでしまう」ってのが物語の重要なキーだった訳だけれど、最後まほろは地球を救うため、字義通り星になって消える。「輝く闇」(あぁこれも対比だ)とかいうまほろの生命エネルギーそのものを燃やして、地球に衝突しかけていた隕石(管理者とセイントとの争いで出来てしまった月のかけら)を撃墜する。火星のテラフォーミングが完了したその日、地球にはまほろによって破壊された隕石が、無数の流れ星となり降りそそいでいた。まほろがアンドロイドの姿をとっていたのはあくまで表層であって、「マシュー」という大いなる存在のいちデバイスでっあった、と。人の心とか愛とか、そういうもんを持ったスパーコンピューターみたいなものだろうか。作中余り詳しく描かれていないので良く分らないが。

優視点からこの物語を見てみるとすると、1〜7巻までの優は、まほろの愛情を一身に受けた、幸せ絶頂期だった。8巻、物語の後半部では、まほろに何もしてやれなかった(実際まほろは優から愛情なりを注いでもらってて幸せだったのだが、優には完璧にはそうは思えない)という後悔の念、結局死なせてしまったという自分への情けなさで、修羅の道(ヴェスパーに入り、管理者の残党狩りを行っていた)を進んでいた優だったのだが、まほろの生まれ変わりに出会って救われる? 救われたのかな?・・みたいな、終わり方をこの「まほろまぃっく」は見せる。全部書かないのがこのマンガのやり方。いわゆる提喩ですね。部分で全体を描こうとする例のアレです。いかにもなベタな提喩が結構でてくるこのマンガ。いちいち説明せず、コマの画だけでさらっと書いちゃう。

異星人・セイントの戦闘アンドロイド、リューガ。こいつも相当のベタキャラである。まほろと戦士として決着をつけたがったり、まほろに感化され人間を愛そうとしちゃったり。まぁセイントっての自体が、ひとつの種であると同時に、「マシュー」の意思を体現する群体であったりもするんだが。マシューを生んだ科学者の「まほろ」って一体何者やったんやと。セイントってのはよく考えると気持ち悪い存在なのだが、それゆえ、地球人と交流することを望んだんだろう、と。

3人娘とヤロー2人、式条先生というサブキャラも物語に花を添える。3人娘+式条先生で、揃いも揃って優に振られたりもしたが、あれも物語的に見ればまほろさんの踏み台という訳で・・。いや、みんないいキャラだと思いますけどね。皆で最後に行った旅行の時(8巻)、式条先生が見せた、まほろのただならぬ決意を感じた「ハッ」という気付き、あのコマだけで、今までの変態巨乳キャラから、まほろのいち理解者へと上がった訳ですね。

みなわちゃんは、「まほろまてぃっく」のメインテーマの繰り返しのような存在で、まさにサブキャラ。戦闘用に改造された機械人間でありながら、人としての心を取り戻していく、という例のアレ。青い髪のプラグスーツを着たあの人を筆頭に、マジで集めたらスゴイキャラ数になりそうだ。この手のキャラは。

まほろが機械−人間という単なる二項対立から一歩進んでいたのは、「マシュー」という絶対的な存在の片割れであったこともあるけれど、己の死期を最初から受け入れた状態で優(=恩師である美里指令の忘れ形見)と接していたこともあるのかと思う。物語の中盤はギャクタッチ主体で進んでいくも、最終的にはシリアスモードにならざるを得ないシナリオの構造であった。最初から。それが一種の緊張感をはらんで、物語を引っ張っていったんじゃなかろうかと思う。各話の最後にあった「まほろさんがその活動を停止するまで○○日」ってヤツです。

ラストシーン、優とまほろ2号の出会い、あれは何だったんだろうか。まほろそのものではないとことは、まほろ2号にも分っている。あの瞬間、優はどうだったんだろう? 時空とか色んなモンを超えた愛とでもいうのだろうか。実はまほろさん死んでませんでした〜超ハッピーエンド〜!! てのとは少し違うんだね。少し寂しい感じがする。

まほろと優。優の心の壁。

優の「心の壁」という表現が出てくる。明るそうに振舞う優には、常に心を壁を囲っていたという、例のアレです。まほろさんが彼の元を訪れて、その壁をさっと越えてしまう。優の幼馴染・ちづが言った、まほろは「風」であるという表現が印象的だ。まほろを亡くした時、優はまた壁を作ってしまった訳だが、それって良く考えたら1〜7巻の二人の関係は、優視点からしてみれば、まほろへの依存心であったかもしれない、とそう思ったりもする。多かれ少なかれ最愛の人の死は人間を変えてしまうものだけれど、ノイローゼになってから後修羅の道を歩むというのはちょっと過剰すぎやしないか。物語的にはそれでOKなんだけれど、ちょっと裏返してみると、そこには余り見るに耐えないものもちらほら・・。まほろとの生活がハッピーだったこと、そしてそれがもう戻れないかけがえのないものだったということ。優の異常なまで落ち込みは、それらの証明である一方、その結果には「やりきれないもの」が残りすぎた。だからあのラストが寂しいんだろうと。あの後優とまほろ2号はどうなってしまうのだろうか? 「かつてそうであったこと」の記憶を反芻しながら、日々の生活を送るのだろうか? 考えたらちょっとキミガワルイ気がしませんか? 優がまほろのことを割り切って、新たな人生を歩む、というふうに持って行った(=ヴェスパーでの戦士としての活躍)、行ってるんだけど実はまほろさん忘れられませんでした・・みたいな感じなんだろうけど、ちょっとね、あのラストは複雑すぎる。

他方、まほろにとってはどうだったんだろう。死期を悟り、明確な意思を持って優とお別れをしようとしたこと。優と、優が愛したこの星を守るため、残された最後のエネルギーを燃やし、地球を救ったこと。絶対的な存在「マシュー」に還元されていき、再び生を受けたこと。ちょっとこちらは出来すぎですなぁ・・。

まほろと優の関係を深堀りしていけば、ちょーっと一筋縄ではいかないものが見え隠れしてくるよこのマンガ。回を追うごとに関係を深めていった、共有体験の蓄積という普遍的な恋愛本来の面もあり、まほろの持つ絶対的な母性みたいな面もあり、優の心の壁問題(含ちょい依存)もあるし。

まほろまてぃっく (8) (Gum comics)

まほろまてぃっく (8) (Gum comics)

まほろ」総評

まとめると、骨太SFストーリー+ベタ展開+古典的ギャクタッチ+アンチ児ポ法趣味、という、最近じゃ色んな意味でお目にかかれない、何とも満漢全席な作品である訳です。ちょっと昔に流行ったいちメイドものにしておくには、少しもったいない作品だと思い、ほぼノリで書きまくってしまいました。人様に公開して良い文章なのかどうか、かなり不安です。

あとがきめいたもの。

オタク系物語メディア専門blogと成り果てている当blogですが、別に私が一般作品を読んでいない訳ではありませんので誤解なきよう。福山雅治は生理的に嫌いなんだが、司馬遼の「龍馬がゆく」は読み中だし、佐藤亜紀の旧作も集め中だし、松浦理英子も読んでるし。ただそれらの作品を敢えてこのblogで綴っていこうという気があんまりしないだけなのです。それよりか、ともすれば作品としての価値は社会的に低く見積られがちなオタク系の作品の価値を、こうして再評価していくことの方に、何だかやりがいを感じてしまう昨今なのです。

コペン・オーナー必読「彼女のカレラ(16)」(集英社, 麻宮騎亜)

ダイハツの全社員は麻宮先生に足を向けて寝るんじゃねぇ!!


彼女のカレラ 16 (プレイボーイコミックス)

彼女のカレラ 16 (プレイボーイコミックス)


いや、リアルにコペンのオーナーなんでちと熱くなってしまいましたが・・。

2002年に発売されて以来、「平成のABC」(マツダAZ-1」、ホンダ「BEAT」、スズキ「Cappuccino」)の流れをくむ軽自動車のオープン・スペシャリティとして、軽のラインナップの中でも独自の路線を歩んでいるコペンが、何故か「彼女のカレラ」の最新刊でフューチャーされてました。

ボディ剛性は弱いし、足回りはバタつくし、所詮は軽のパワーで貧弱だし、高速では後続のミニバンのハイビームがまぶしいし、そもそも近頃の黄砂でルーフ開けようって気にもならないし・・。

でもね。

やっぱいいもんですね。コペンは。ランボルギーニガヤルドを駆るカリスマ・ライター「サキュバス三姉妹」の次女が、実はコペン・オーナーだった、という話の筋だったんですね。彼女はコペンを「スーパーカー」だと言います。500馬力以上もあるディアブロ乗りをして、たった64馬力の日本の軽自動車をスーパーカーと呼ばしめる要素は何なんだろう? と思う訳です。

「人馬一体」ならぬ「心馬一体」。楽しさと夢。

コペンを語る言葉は沢山あれど、あの小さなボディと愛らしいデザインに、自動でオープンするハードトップと、見た目からは想像もつかないキビキビとした走りに、僕もそうですが、結局の所みんな参っちゃってるんじゃないか。唯一無二と言いますか、コペン買ってなかったら、何に乗ってたんだろう? NBの中古か? などと良く考えたりするものですが、イマイチ想像つかないんですよ。


納車後、ポリマー・コーティングを終えた直後の我が愛車。

クルマ自慢かマンガのレビューか、何だかよく分らないけどとりあえず今日は以上。